美魔女のつぶやき

阿蘇で暮らす自称美魔女の随想

アメリカ人学者から見た日本の大学入試問題

以下は、今から34年も前にアメリカの著名な文化人類学者トーマス・ローレン(当時 スタンフォード大学教授)という人が書いた本『日本の高校』(友田恭正訳 サイマル出版会)からの引用です。この本は当時、教育関係者の間では話題になった本です。引用は、1974年のある国立大学の世界史の入試問題に関しての部分です。

 

この問題は、アメリカ人の過去の伝統に関するものでありながら、アメリカの高校三年生のうち、いったい何人が、この問題に解答しようとする気になるであろうか。その気になる者はは、皆無に近いであろう。たとえ古代文明を取り上げる場合にも、われわれの教育は、このようなテストを念頭におくものではない。アメリカ人の教育観からすれば、ギリシャ思想についての学習が、人名、日時と場所、時代、学派、哲学の源流に精通することであろうとは、とても考えられないからである。

われわれが集中的にやりたいと考えるのは、ギリシャ人が尊重していたとわれわれが考えるもの、つまり思想の自律性と合理性とはいったい何かということである。これらはいずれも、テストによってうまく評価できるものではない。

中略

今日のヨーロッパの教育者にとってもっと興味深いのは、ギリシャの思想家間にどのような論争が展開されたか、そしてそれらのアプローチにどのような違いが見られたか、ということである。われわれはクラス討論でこの点を追求し、そのような議論が、今日の問題や争点に適用できるかどうか試そうとする。もしも時間があれば多様な学派が用いた論理を掘りさげ、分析的な思考力を訓練するであろう。

このようなアプローチは、上記のような試験問題をめざして受験勉強にはげんでいる日本の生徒には、まったくといってよいほど役に立たないであろう。

引用終わり

このアメリカ人の学者には、日本の大学の世界史の入試問題が、細かな知識を問うだけになっていたように見えたようです。暗記偏重と言われて来た日本の歴史教育と入試問題。私は近年の事情には疎いのですが、過日取りあげた東大の本郷和人先生の『歴史をなぜ学のか』からしても、大きくは変わっていないかもですね。何でもアメリカが優れているわけではないにせよ、日本の学校での歴史の扱い方や授業や入試問題の在り方の見直しが必要なのかもですね。