美魔女のつぶやき

阿蘇で暮らす自称美魔女の随想

理解の深浅と自信度

一般には、深く理解したと思える時が自信を持って発言できるものですが、自分自身を振りかえって見ると、そうでもなかった、と思えます。

私は40代半ばくらいまでは自己主張も割と強く断定口調で発言することが多かったのですが、50代に入った頃から、控え目な発言が増えたように思います。理由ですが、若い頃、理解して思っていた事柄が実はそれほどでもなかったり、間違っていたことが多々あった、ことに気付いたからです。

詳しく述べると、ある問題に関して、様々な視点から捉えることができるのに、かなり限定された数の視点からして見ておらず、その深さも十分とも言えず、どの視点に重きをおくべきかも無意識のうちにかなり主観的になっていても、それに気付いていなかったのに、若さゆえか性格からか、自信満々に発言してました。自分の意見や考え方を第三者の目で冷静に眺めてみる作業をしていなかったわけです。

自分の意見や考えを第三者の目で冷静に眺める(メタ認知)ことは、今は意識していますが、これとて簡単ではない気がしています。で、多少は意識して心掛けているのは、自分とは反対の考えや意見を敢えて弁護してみるということです。今は、ネットで色んな意見を検索できますからね。すると、第三者から見たら、例えば右により過ぎた自分の考えや意見が左に向かう可能性が出てきて、バランスの取れた見方に近づくことができるかもと期待しています。そして、凡人ゆえに強く意識しているのが、「深く知るより、浅くともバランス良く知り、均衡の取れた理解をすること」です。頭がよければ、様々な視点から深く知り、かつ、冷静な判断ができるのでしょうが、それが無理なら、せめて、自分の見方を疑うことや反対の見方に立つことで、偏りを少しでも減らしたいと思うのです。

 

長くなってしまいました。ごめんなさい。