大まかに捉えると「詰め込み教育」の反省から「ゆとり教育」が目指され、学習内容の削減をはじめとして、様々な改革が行われて来ました。学習内容の削減に関しては、減らし過ぎて学力が低下したと受け止められて、途中でまた増やされました。
様々な改革や研修などで教師は「ゆとり」とは正反対に、超多忙で心身ともにへとへと。学校は「ブラック職場」と認識され教員志望の若者は激減し、採用試験の倍率も、昔とは比べものにならない程に低くなっています。
文科省とて、教師を疲弊させようと思い改革を進めてきたわけではなく、日本の教育を良くしよう、学校を良くしよう、教師の能力をあげようと思って改革を進めて来たのが、全く逆とも言えるような結果になってしまったようです。この逆説をどう受け止めたら良いのでしょうね。
「角を矯めて牛を殺してしまった」のか? 経済学の用語で言う「合成の誤謬」(個々のレベルでは正しい対応をしても、経済全体で見ると悪い結果をもたらす」であったのか?